大津代官所同心記録
清文堂史料叢書第132刊
渡邊忠司編著


通常、江戸時代の代官所の吏員は現地採用の手代が中心で、18世紀後半より御家人身分の手附が加わる。ところが、大津代官所には捜査や司法手続を担当する同心が存在し、明治時代初期まで治安を担い続けた。6つの史料を収録し、享保の国分け以降の京都・大坂町奉行所とのやりとりや判例、捜査記録のみならず、多くの文書を収録し、江戸幕府の西国支配の一端を具にする。




■本書の構成
口絵/凡例

史料篇

史料一 宝暦十一年(一七六一)十月『仲ヶ間申合條目此外預り畑一件覚』
史料二 天明五年(一七八五)『町方御用留』
史料三 天保三年(一八三二)西山町字大濱一件留
史料四 明治四年(一八七一)『御用記』
史料五 『御組出役定書』
史料六 明治五壬申年(一八七二)二月『鞫問帳』

解題と研究

解題/近世大津支配体制の確立…………渡邊忠司/あとがき



  ◎渡邊忠司……佛教大学歴史学部教授




  編者の関連書籍
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 代官所同心が明治維新後も数年間は治安維持を担っていたことがわかる明治5年(1872)の「鞫問帳」(佛教大学附属図書館蔵)

 ISBN978-4-7924-1054-4 C3021  (2016.5) A5判 上製本 口絵4頁・本文258頁
 
 
『大津代官所同心記録』公刊によせて

 兵庫県立歴史博物館長 藪田 貫

 「上方支配」というと、朝尾直弘氏が明らかにした「八人衆」を想起する(『近世封建社会の基礎構造』一九六七年)。寛永期を中心に京都所司代・大坂城代・大坂町奉行・堺奉行・淀城主ら八人が、江戸から相対的に自立した地域支配を実現していたことの解明は、その実証水準以上に研究史にインパクトを与えた。わたしもその影響を受けたひとりで、のちに「支配国」論を提起するに至る(脇田修編『近世大坂地域の史的分析』一九八〇年)。

 わたし自身は摂津・河内というミクロの世界に関心を持ったが、近年、若い世代は、畿内・近国というマクロの世界に関心を集中しているように見える。その双方の成果が出ることで、上方支配、朝尾氏にならっていうなら「畿内における幕藩制」研究が大きく進展している。

 そんな広狭二元的に展開する「上方支配」研究に、一石を投じるかのようにこの度、『大津代官所同心記録』が出版された。佛教大学図書館所蔵「大津代官所同心佐久間家文書」という未知の史料群が、渡邊忠司氏によって発掘されたのである。しかも近世史の常識を破って「代官に同心の配属という」異例の事態は、「徳川政権の地域支配のあり方を考察する貴重な材料」を提供しており、ミクロの世界に関心を持つ者として喜びを禁じ得ない。

 渡邊忠司氏と言えば、大阪市史編纂所勤務時代に、大坂町奉行与力八田家史料を発掘し、『大阪町奉行所与力留書・覚書拾遺』『大阪町奉行所与力・同心勤方記録』などを公刊したが、その目線は、『大津代官所同心佐久間家文書』にも遺憾なく発揮されている。

 同書解題によれば、大津代官は享保七年(一七二二)に京都町奉行支配に入り、その時、与力・同心が大津に派遣された。その後、明和九年(一七七二)に世襲代官石原氏の支配と変わるが、冒頭に収められた「仲ケ間申合條目」は、両期における同心の実態を示しており興味深い。京都町奉行支配下では、大津の東西両組(各九人で構成される)から京都組への異動や番代わり時の組頭の上京など、京都との関わりが深い。また、十石・三人扶持の同心が、みずから「軽き身分」といいながら、武芸とともに読書・算術の稽古を謳っているのも、同心の武士としての気概を語っている。

 町方商家の借家から元大津蔵奉行の屋敷跡を居宅とするまでの経緯を記した「西山町大濱一件留」も、引退する同心の老母の世話を仲間一同でするなど、彼らの境涯を如実に物語る。与力と並ぶ警察機能の担当者としての実務を記した「町方御用留」からは、大津で起きた事件を通して、京都・大坂町奉行所との間の支配管轄に関する事例を提供する。

 いずれにしても大津代官は、代官職・町奉行職・船奉行職を兼帯したユニークな職制である。近世後期から幕末維新期という限られた時代とはいえ、その実態を解明する史料群の登場は、あらためて近世国家の地域支配の奥深さを教える。



 
 
『大津代官所同心記録』の発刊に寄せて

 大津市歴史博物館長 樋爪 修
 このたび佛教大学の渡邊忠司氏が、新資料『大津代官所同心記録』を翻刻、発刊されることになった。本資料集の「解題と研究」に、幾度となく引用されている『新修大津市史』(全十巻)の編集、執筆に関わった者として、この小文を書かせていただくことになった。『新修大津市史』の編纂事業は、昭和五十一年四月にスタートし、渡邊氏が参照された第三巻(近世前期)と第四巻(近世後期)は、昭和五十五年、同五十六年にそれぞれ発刊した。それからでも三十五年ほどの年月が経過したのかと思うと、実に感慨無量である。

 この第三巻・第四巻の近世編では、それまで注目されることがなかった大津代官について論じているが、当時は資料も少なく、歴史の叙述は資料あってのことだと、今回の『同心記録』を拝見し、あらためて思い知らされた次第である。今回の『同心記録』は、同心仲間内の儀礼や勤方の規定、吟味裁許の記録など、いずれも新出の資料であり、また明治初年の大津県時代まで含まれている点にも、非常に意義深いものを感じる。

 以前、『同心記録』のうち「西山町字大濱一件留」(本書一一八~一三一頁)を閲覧させていただいたことがある。大濱は大津代官所や御蔵の南側にあった舟入の場所である。この資料により、同所における元禄十二年の御蔵奉行廃止以降の土地利用の変遷が追えるのだが、加えて、江戸時代後期の大津百艘船の動きが知れるとともに、付近の景観変遷までが読み取れるなど、本資料だけを取り上げても、大津研究に貴重な情報を提供してくれているのだ。

 私が現在勤務する大津市歴史博物館では、『新修大津市史』発刊当時の資料を引き継ぐとともに、旧大津町の資料調査を継続して進めており、その過程で町方文書も数多く収集することができた。それらの文書を、今回の『同心記録』と合わせると、大津代官による町方支配の実態が明らかにできることだろう。また、巻末の「近世大津支配体制の確立」において渡邊氏が触れられた、大津代官の三職兼帯については、議論を深めていくことが必要だと考えるが、その議論の素材として、『新修大津市史』により提示された論点を、その後改めて詳細に分析された、杉江進氏の『近世琵琶湖水運の研究』(平成二十三年)を、ここでは挙げておきたい。

 それはともかく、今回の新資料を世に出された渡邊氏と翻刻を補助された方々の御功績に対し、深甚の敬意を表するとともに、多くの人たちが本書を活用されることにより、大津代官に関する研究と議論が前進することを祈念するものである。



※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。