■禅林の文学 | |||||
戦乱をめぐる禅林の文芸 | |||||
朝倉 尚著 | |||||
五山文学を代表する文人僧・横川景三の応仁の乱前後の動静を中心に、戦乱のさなかにも活動していた聯衆の活動を描出すると同時に、庇護者・小倉実澄との交流、京都における禅林復興という「動」を志した横川景三と地方における文芸・活動という「静」を志しながらも都に召喚されて斃死に近い最期を遂げた同輩・桃源瑞仙の対比等、「生きざま」の提示にも余韻を残す。 ■本書の構成 はしがき 第一部 応仁の大乱と禅林の文芸(禅林聯句の一側面) 第一章 戦乱時における文芸としての禅林聯句 ―「小補東遊集」と「江東避乱聯句」(仮称)― 第二章 自筆稿本系統『小補東遊集』の出現 ―天理図書館所蔵『小補東遊集』をめぐって― 第三章 「江東避乱聯句」(仮称)の第唱句と入韻句について 第四章 京都大学附属図書館所蔵『東遊集聯句』 ―解題と本文復原の試み(翻刻)― 第五章 『〔湯山聯句〕』『成吠詩集(坤)』『〔梅花無尽蔵〕』『〔聯句集〕』について 第六章 「禅林聯句の総集」について 第二部 応仁の大乱をめぐる一禅僧(横川景三)の軌跡 緒言 ―横川景三…江東避乱から禅林復興への歩み― 第一章 第一回上洛と帰山 第二章 第二回上洛とその前後 第三章 識廬庵への隠棲 第四章 第三回上洛 ―文明四年〜五年(一四七二〜三)の動向― 第五章 五山禅僧としての覚悟 ―文明七年(一四七五)の動向― 第六章 大乱の終結と禅林の再興 あとがき/索 引 ◎朝倉 尚(あさくら ひさし)……1942年 大阪市生まれ 広島大学名誉教授 博士(文学) 著者の関連書籍 朝倉 尚著 就山永崇・宗山等貴 ―禅林の貴族化の様相― 朝倉 尚著 抄物の世界と禅林の文学 ―中華若木詩抄・湯山聯句鈔の基礎的研究― 朝倉 尚著 禅林の文学 ―詩会とその周辺― 本書の関連書籍 中川徳之助著 日本中世禅林文学論攷 朝倉 和著 絶海中津研究 ―人と作品とその周辺― ◎おしらせ◎ 『日本歴史』第881号(2021年10月号)に書評が掲載されました。 評者 芳澤 元氏 |
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ISBN978-4-7924-1454-2 C3091 (2020.5) A5判 上製本 740頁 本体21,000円 | |||||
本書刊行の意義 | |||||
広島大学名誉教授 朝倉 尚 | |||||
応仁・文明の大乱に際会した禅僧たちが、その異常な状況下をいかにして生きたか、いまだに明らかにされているとは言い難い。 本書の主人公格・横川景三(一四二九―九三)は盟友・桃源瑞仙(一四三〇―八九)の主導の下、京寺・相国寺を離れて、やがて江東(近江国東部)の瑞石山永源寺に寓居することになり、土地の豪族・小倉実澄の知遇と援助を受けて諸活動を展開する。桃源は梅岑庵を拠点とした文壇・講釈活動に新天地を見出し、一住十三年もの長きにわたりこの地に止まり、堅実で正統的な「静」の生き方を選択した。横川については、識廬庵を提供されながらも、五山禅林の復興・再興に尽力しながら文芸の活動面(友社)における指導的立場を確立するために、視察のための二回の上洛を試みた後、三回目の上洛を果たす文明四年(一四七二)以降は京洛に定住し、積極的で野心的な「動」の生き方を実践している。 本書は、第一部では禅林聯句・「江東避乱聯句」(仮称)を対象にして、成立の背景・過程、聯衆の役割、作品の内容・特徴、禅林聯句史上における意義・位置づけといった各方面から検討を加えている。まさに、応仁の大乱が勃発した当初に興行される「江東避乱聯句」であり、この異常な状況下に誕生した文芸が禅林聯句であったという点に焦点を合わせて論じたものである。 第二部では、主人公・横川の作品集を対象にして、大乱を避けての江東・永源寺行から識廬庵寓住を経て、三度目の上洛・帰京後に主として五山禅林とその文芸の復興・再興に尽力するという、禅僧としての軌跡を辿ろうとしたものである。大乱が勃発した直後以来の作品を収める、本格的な作品集としての『小補東遊(前)集』『小補東遊後集』『小補東遊続集』については、他に類例を見ない状況下において成立しているため、特に詳細な分析・検討を試みた。 本格的な学究生活の当初においては放置せざるを得なかった課題に対し、現状における報告書として纏めたのが本書である。同時に、本書には、いまや研究生活を終えようとしている老学究生としての稿者が、粗削りの論であることは承知の上で、せめて「礎」の役割を果たしたいとの願いが込められている。 詳しくは本書をお読みいただき、忌憚のないご意見を賜りたく存じます。 |
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※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |