地域社会における「藩」の刻印
津・伊賀上野と藤堂藩
藤田達生監修・三重大学歴史都市研究センター編


現代人にとって「藩」とはなんだったのかを問う。



■本書の構成

序  章……藤田達生
  はじめに――研究のねらい  一 本書の構成  二 基本文献  むすび――現代に生きる藩

  第一部 統治構造

藤堂藩の誕生……深谷克己
  はじめに  一 「藤堂藩」と呼ばれる事情  二 「近世化」の標(しるし)としての「高虎遺訓」  三 津藩世界の「内圧と成熟」  四 政治文化の内省方法と「王家の再生産」  おわりに

藤堂藩の藩政と伊賀……東谷 智
  はじめに  一 伊賀国と上方  二 藤堂藩における伊賀国の役割  三 役割変化の意義  四 三代藩主高久期の展開  五 幕末維新期における藤堂藩の藩政と伊賀  六 藩政史料の再検討の必要性  おわりに

近世前期藤堂藩伊賀領の支配構造〈『統集懐録』を読む〉……藤田達生
  はじめに  一 統治知識  二 郷士制度  おわりに――兵農分離とはなにか

  第二部 家臣団

西島八兵衛の治水事業……山田雄司
  はじめに  一 藤堂高虎と西島八兵衛  二 讃岐における治水活動  三 伊勢・伊賀での活動  四 西島八兵衛の顕彰  おわりに

藤堂藩陪臣団の構造と変容〈名張藤堂家の家臣団を中心に〉……藤谷 彰
  はじめに  一 名張藤堂家の概況  二 家臣団の成立と構造  三 家臣団の変容  おわりに

藤堂藩士岡野家文書の概要と一部翻刻……岡野友彦
  概要  翻刻

  第三部 城郭・城下町

藤堂藩の武家屋敷配置と変遷……齋藤隼人
  はじめに  一 津の武家屋敷配置の概要  二 津城二之丸の変遷  三 津城郭外の変遷  四 上野城二之丸の変遷  五 屋敷地移転の理由  おわりに

津城、廃城後の経緯に関する研究……吉村利男
  はじめに  一 明治前半期の津城跡  二 明治後半期の津城跡  三 大正期の津城跡  四 昭和前半期の津城跡  五 昭和後半期の津城跡  結びに代えて

三重県所蔵『御城内御建物作事覚 四』について……松島 悠
  はじめに  一 概要と伝来  二 内容と構成  三 構成の復元  四 他資料との比較  五 成立に関する考察  六 『作事覚』の資料的価値  おわりに

御城内御建物作事覚 四……松島 悠・齋藤隼人・藤田達生

  第四部 文化遺産

藤堂高虎像補説……山口泰弘
  はじめに  一 研究の概要  二 藤堂高虎像模本  三 四天王寺本双幅の成立  四 東照三所大権現像とその図像  おわりに

藤堂藩領における藩主・重臣家墓地……竹田憲治
  はじめに  一 藤堂宗家  二 久居藤堂家  三 藤堂宮内家  四 藤堂出雲家  五 藤堂采女家  六 藤堂仁右衞門家  七 藤堂玄蕃家  八 藤堂新七郎家  まとめ  おわりに

伊勢湾・熊野灘沿岸部の伊豆石製品と近世太平洋海運……伊藤裕偉
  はじめに  一 搬入された伊豆石製品  二 伊豆石製品の地域的分布状況  三 伊豆石製品の商品的価値に関する問題  四 近世前期水運と伊豆石製品  おわりに

大河ドラマは町になにを遺したか〈博物館・資料館の視点から〉……太田浩司
  はじめに  一 長浜市での大河ドラマ関連博覧会  二 長浜・湖北地域の歴史資源  三 博物館都市構想  四 民間主導の町・長浜  五 人の「つながり」が最大の成果  まとめにかえて――大河ドラマはどうして決まる

終章……藤田達生
  はじめに  一 研究体制  二 活動記録  むすび


◎藤田達生(ふじた たつお)……1958年愛媛県生まれ 三重大学教育学部教授



 本書の関連書籍
 藤田達生監修・三重大学歴史研究会編 藤堂藩の研究 論考編

 藤谷 彰著 近世家臣団と知行制の研究



 
◎おしらせ◎
 
『ヒストリア』第250号(2015年6月号)に新刊紹介が掲載されました。 評者 藤尾隆志氏

 『日本歴史』第814号(2016年3月号)に書評が掲載されました。 評者 筒井正明氏



ISBN978-4-7924-1020-9 C3021 (2014.8) A5 判 上製本 390頁 本体9,500円


  現代人にとって「藩」とはなんだったのかを問う


 一九八〇年代以降、全国的な自治体史編纂事業の進展や文書館の設置によって獲得した新知見をもとに、藩研究は新たな地平に到達している。「藩社会」「藩世界」などの概念が次々に提唱され、藩が単なる政治組織に留まらず、被支配者層も含み込む「国家」的実態をもっていたことが注目されている。筆者は、「意外なことに、藩がいかにして誕生したのかという観点からの論究は、管見の限りではきわめて低調である。」と問題提起し、この視点にもとづいて、日本史・東洋史・美術史・考古学・建築史・建築学の研究者による学際的な総合研究『藤堂藩の研究 論考編』(二〇〇九年、清文堂出版)を上梓した。藩成立過程を中心に追究した前論集に対して、このたびの藤堂藩を研究対象とする総合研究では、藩領を超える一国あるいは数カ国レベルの地域社会にとって、さらには近代・現代にとって藤堂藩とはなんだったのかという応用問題に、各自の研究テーマから広く深く問い直すことにした。
 ところで、近年全国各地で藩が見直され注目されている。具体的には、藩政時代の「合理性」であり、現代の地域社会の基礎となった時代への「郷愁」である。城下町のなかの武家地や町人地などの復元・整備は、枚挙にいとまがないほどである。特に町人地は現在のメインストリートと重なることが多く、町おこしの成功事例も多い。
 津市の中心市街は、一九四五年の空襲によってその約七三パーセントが灰燼に帰した。「歴史を失った町」がアイデンティティーを取り戻すきっかけとなったのが、二つの「大事件」だった。発掘調査による安濃津の確定と、津城本丸部分の正確な図面である「御城内御建物作事覚 四」の発見である。中世三大港湾都市だった安濃津と名築城家藤堂高虎の居城津城の復元が可能になったことは、津市民にとってふるさとへの誇りを取り戻すことにつながったのである。さらに高虎入府四百年に当たる二〇〇八年には、高虎時代の津城内堀石垣が発見され、津城復元への機運がいやがうえにも盛り上がった。
 現代人が学ぶべき衣食住レベルの「合理性」や、私たちに「郷愁」を呼び起こす江戸時代人の心性は、近世中・後期に明瞭になるのではないかと予想している。言うまでもないことではあるが、藩研究は近・現代史研究の直接的な基礎に位置づけられる。確かに藩の個別性・多様性に注目することは重要であるが、それを統一的に把握すること、すなわち全体像を創造することは急務と言ってよい。
 そこで重要なのが、近世前期に顕著な大名家の多様な実態に関する事例研究をベースに、中・後期において近代国民国家を準備・造形した基礎構造の形成過程を丹念に分析していくことにあるのではないか。今回の研究は、このような認識を踏まえ、藩とはなんだったのかを多角的に問うたものである。   (藤田達生)



  藤堂藩関係既刊
  上野市古文献刊行会編  公室年譜略

  上野市古文献刊行会編  高山公実録

  上野市古文献刊行会編   藤堂藩大和山城奉行記録

  平山敏治郎編  大和国無足人日記

  伊賀古文献刊行会編  藤堂藩山崎戦争始末

  久保文武著  藤堂高虎文書の研究



※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。